佐賀藩の技術者たちは蘭学書を手本に自力で反射炉(熱を壁や天井の面で反射させて炉内の温度を上げ、 鉄を溶かす装置)を建造し、日本で初めて鉄製大砲の鋳造に成功しました。
築地と多布施の二カ所に反射炉を建設して、多布施公儀反射炉では幕府からの依頼の大砲鋳造を行いました。
幕府専用の大砲は、品川(現在の東京 お台場)の砲台に備えられ、
その遺構が今も残っています。
築地には、明治16年谷口清八が鉄工所を設立して鉱山機械・蒸気汽罐・水道鋳鉄管・軍用鉄器等の製作を行い関西の大手工場となりました。
佐賀は日本の近代産業化のシンボルとも言えます。
その佐賀で唯一の鋳物工場として「佐賀鋳物株式会社」は、その伝統を受け継いできました。

佐賀鋳物株式会社は、創業80周年を迎えており、
鍋島藩の反射炉の流れをくむ佐賀県の鋳物工場として、品質向上に努めていきます。










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